上野発言について

2月11日中日新聞・東京新聞で「平等に貧しくなろう 社会学者・東京大名誉教授 上野千鶴子さん」が掲載されるや、各方面から移民の受け入れに関する意見が出され、ネット上でもいわゆる炎上ということになったので、ここに紹介する。以下が上野氏の主な意見「人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。」この意見に対し、移住連(移住者と連帯する全国ネットワーク)からも公開質問状が出された。1.「移民受け入れ」に対する無知と偏見について・移民受け入れにより「社会的不公正と抑圧」が増大するのではありません。・治安悪化は、日本において特に頻繁に語られる移民への謬見です。実際には、日本で移民人口が増えたことによる治安悪化はまったく起こっていません。2.「日本は『ニッポン・オンリー』の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」という発言について・2008年に国会の衆議院及び参議院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択され、日本が「単一民族」であることは公式に否定されましたが、「単一民族神話が信じられてきた」というのはどのような根拠にもとづいているのでしょうか。またこの発言こそが、「単一民族神話」を再生産していますが、その点についてはどのようにお考えでしょうか。・現在日本には230万人を超える外国人移住者が暮らし、先住民や外国にルーツをもつ日本国籍者を含めると、民族的マイノリティはそれ以上になります。「日本は『ニッポン・オンリー』の国」というのは、どのような根拠にもとづいた発言でしょうか。・このような、外国人移住者の増加や民族的マイノリティの存在の認知を背景に、各地で多文化共生の取り組みがすすめられてきました。2006年には総務省も「地域における多文化共生推進プラン」を策定しています。こうした取り組みには、民族的マイノリティ当事者のみならず「日本人」も多く関わっています。「日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」というのは、いかなる根拠にもとづいてなされた発言でしょうか。この発言が、いかにマイノリティの存在を否定したものであるか。次に以下が上野氏の主な反論です。「日本の人口推計によれば2060年の人口推計は8674万人、人口規模1億人を維持しようと思えば1.3千万人の社会増(移民の導入)が必要となります。およそ半世紀後に人口の1-3割が外国人という社会を構想するかどうかが問われています。移民先進国で現在同時多発的に起きている「移民排斥」の動きにわたしは危機感を持っておりますし、日本も例外とは思えません。これから先、仮に「大量移民時代」を迎えるとしたら、移民が社会移動から切り離されてサバルタン化することや、それを通じて暴動やテロが発生すること、ネオナチのような排外主義や暴力的な攻撃が増大すること、排外主義的な政治的リーダーが影響力を持つようになること、また移民家事労働者の差別や虐待が起きることなどが、日本で起きないとは思えません。それどころか移民先進国であるこれらの諸外国が直面している問題を、日本がそれ以上にうまくハンドリングできるとはとうてい思えません。それはすでに移民先進国の経験が教え、日本のこれまでの外国人への取り扱いの過去が教える悲観的な予測からです。反対にわたしの方からも、みなさま方に「移民一千万人時代」の推進に賛成されるかどうかお聞きしたいものです。わたしたちが外国の人たちにどうぞ日本に安心して移住してください、あなた方の人権はお守りしますから、と言えるかどうかも。みなさま方の理想主義は貴重なものですが、理想と現実を取り違えることはできません。どの社会も移民の導入について一定の条件を課しています。まったく国境を開放した国民国家はいまのところ、ありません。それは再分配の範囲をどう定義するかという福祉国家の分配政治に関わるからです。そして福祉国家にはつねに潜在的に境界の管理が伴います。人口減少社会で「平等に貧しく」というシナリオは、再分配の強化を示したもので、国内の階層格差の拡大はその条件を掘り崩します。再分配路線に舵を切る、今が最後のチャンスかもしれません。」次号に続く。

上野氏本人からの2つの反論以外はほとんどが上野発言に対する批判であったものの、これほどまで、「多文化共生」がネット上で議論されたことはなかったので、筆者には新鮮であった。以下、私見を交え、議論の行方を追ってみたい。※上野氏は記事の中で「日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。」と述べている。上野氏の発言は、「移民を大量に受け入れると、移民と日本人の間に賃金、権利保障、教育などに不公正が起き、このため、移民による犯罪、日本人による犯罪の両方の抑圧が生じる。日本人の特性からして、これらに上手く対応することは不可能であり、多文化共生は無理。だとしたら、移民と日本人お互いの人権を守るため、移民を拒否し、清貧に生き、緩やかに衰退しましょう。」と要約できる。この意見に対し、①トランプばりの排外主義である②移民は単に政府の政策決定で解決できるものではなく、経済的幸福を求めて移動するという人権の発露である移民は、侵すことができない個人の選択の結果である③移民そのものと治安悪化とはなんら関係はない④平和に衰退するとは、脱成長左派の純粋型だ⑤成長を目指さない社会民主主義思想はこれまでなく、いつから清貧の思想になったのか⑥日本の現状を改善せずして、日本人は多文化共生には耐えられないというような不変の国民性に帰するのは、現状放置にほかならない⑦ジェンダーやセクシュアリティは選択できないが、移民は政治的に選択可能だという主張には、移民という選択の結果生まれた状況に不満があるなら、その選択をしなければよかったのではとする自己責任論に帰着する⑧日本社会が多文化社会に対応できていないなら、それは移民の増加に原因があるのではなく、このような日本社会を改善すべきは日本人側に問題がある、などの反論、批判があげられる。※上野発言は、著名な社会学者からの意見だけに、その影響力も大きい。その上野氏から「移民を入れると社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ」との排外主義的な言説が飛び出し、さらには「ニッポン・オンリー」の国とか単一民族神話といった日本人特性論が持ち出され、それに移民先進国で起きている移民排斥の動きへの本人の危機感が加わったことで、これまで多文化社会に向け何の改善策も講じてこなかった日本人には、多文化共生は耐えられないという結論が導き出された。多文化共生は決して単に仲の良い関係を築くことではなく、異なる文化、民族、習慣などに潜む対立と緊張関係を互いに意識しながら、お互いの存在を問う作業を行う革命的なことだと思うのだが、上野にはそんな動的側面はみえていないのか。私には、日本にとって、大きな課題である移民問題が国民的な議論にならないことに業を煮やした上野氏が、あえて排外主義を打ち出し多文化共生を否定することで、国民的議論を誘導しようとしたのではないかとさえ思えてくる。①排外主義であるとの批判犯罪や社会的な混乱が起きるから、移民排斥は正しいとの論法は、(移民が増えると犯罪が増加するという統計はないのだが)移民を受け入れなけられば、社会的な混乱は生じないという発想と同じで、社会的混乱を生み出す人間の意識や社会の在り様などを議論しない暴論であろう。きちんとした法制度やシステムをつくることなく、移民を「安価で雇用調整しやすい」労働力として受け入れた場合に生じる混乱は、国内のみならず国際的な経済格差を生み出すととらえる視点が必要だ。さらに、日本人の特性として、間違った単一民族信仰、一枚岩的日本人意識を持ち出し、多文化共生できない文化だと断じるのは説得力に欠ける。現に住んでいる外国人住民の権利を尊重することも日本人にはできないとでも言うのだろうか。